PS5の噂とアカデミー賞で考えたゲームのあるべき姿

PS5の噂とアカデミー賞で考えたゲームのあるべき姿

PS5で過去のPS1〜4ソフトが使えるようになるかもという噂と、アカデミー賞の話題を見て前々から考えていたことを再び考えました。ゲームの存在が本や映画のようなメディアに並ぶべきだと。

ゲーム制作は規模の大きいものは映画並みになっていますし、そうでなくてもクオリティが高いものが増えています。ゲームの存在は年々存在感を増しているものの、それでも未だにたかがゲームの考えを持つ人も少なくありません。このままではゲームはいつまで経ってもたかがゲームです。MGSの小島監督はいまや世界的アーティストといって差し支えないありませんし、ゲームを作っている人ももっと評価されるべきだと思います。たかがゲームの壁を乗り越えるにはどうすればいいのでしょうか。

賞と注目度

日本において、本では芥川賞、直木賞、本屋大賞など、映画ではアカデミー賞、音楽はレコード大賞などテレビでも報道されます。が、ゲームに関しては賞自体が存在しても、どのゲームが受賞したという情報は専門的なメディアを除き、ほとんど報道されませんしかし、MGSやラスト・オブ・アス、ICO、ワンダと巨像、最近ではゴッド・オブ・ウォーなど物語としての評価が高い作品が数多く登場しています。これらのゲームが知られていないのが残念に思うのです。本を読んで、映画を見て、音楽を聴いて、楽しんで感動できるように、ゲームにおいてもそれはできます。しかし、ゲームというだけで作品を敬遠している人がいます。本は文字のメディア、漫画は文字と絵のメディア、映画は音楽、映像を内包したメディア、そしてゲームは今やその映画に自分が介入できるといえる最高の総合的メディアです。自分が操作するということ、これはゲームにしかできません。私は物語を表現する作品としてのゲームももっと注目されるべきで、ゲームだからという理由で触れられないのは、やはりもったいないとしか思えません。

デトロイトのような作品はゲームをやらない人にも触れやすいと思う。

ちなみに最近ではeスポーツ関連の番組などは増えてきて注目されている面もありますが、これはあくまでeスポーツのこと。スポーツとしてのゲームもこれから多く語られるのかと思いますが、これはまた別の話だと考えています。

どうすればいいのか

ではゲームが本や音楽、映画のようになるにはどうすればいいか。私個人としては過去のゲームをいつでもプレイすることができるというのが重要だと思っています。本は本そのものがあればいつでも読めますし、音楽はCDと再生機があればいつでも聴けます。映画もビデオ、DVD、ブルーレイ、配信と媒体こそ変化していますが、様々な方法で見れます。本や音楽、映画など共通しているのは過去のものでも読んだり、見たり、聴いたり、気軽にできる方法があるということです。このようにもっとゲームの存在自体の評価を上げていくには、過去のゲームでもいつでもプレイできる、より身近な存在になるということは重要なのです。もちろんこれができれば、すぐ現状が変わると言ったものではありませんが、ゲームも他媒体と同じように過去のものが気軽にできるようになるべきです。

PS3初期型ははPS1〜3までプレイすることができた。

スマホのゲームはサービス終了でプレイできなくなってしまうことがあったとしても、プレイステーションやスイッチのようなコンソールのゲームは(オンラインゲームでなければ)ハードさえ使えればプレイすることができます。そして噂のような互換さえあれば過去のゲームもプレイできるのです。今後クラウドゲーミングも発展していくでしょうが、ネット回線が必須になります。権利の関係などあって配信されないゲームもあるかもしれません。PCでもOSの壁があったりして、今では上手く起動しないゲームもあります。このようなことから、やはりゲーム専用機は残ってほしいと思います…。ディスクさえあればできるわけですから。そしてソニーは後方互換のあるゲーム機を出し続けてほしいです。ディスクというメディアを一貫して選び続けたゲーム機はプレイステーションしかないです。(正確にはXboxもそうですが…PS1世代からという意味で)ゲームアーカイブスのようなものもありますが、ディスクでしか出てないゲームもありますし、大手3社の過去全ハードのゲームができるゲーム機は存在しません。ソニーには噂の互換を是非実現してほしいと思います。そしてスイッチやPC、XBOXでもより多くの過去のゲームができればいいなと思います。

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